連休明けの2月13日に思い立って購入した三島由紀夫『金閣寺』、つい先ほど読了しました。
頂いていた返信をガイドとして傍らに置きながら読むことができ、大変有難かったです。
① 直観の覇者であり、五感が急所
・これを読んで、三島は『目に見えないものの世界の覇者』であると感じました。
・同時にその裏返しとして、目に見えるもの、つまり五感による情報/刺激を捌くのは不得手で、相当なコンプレックスが主人公を通して伝わってきます。
・まるでRPGにおける、接近戦を避ける魔法使いのようです。
・虚弱体質だった若い頃の反動で、30を過ぎて身体を鍛え始めたというのは、どうやらやはり言われていることのようですね。晩年は、いつでも杖を棍棒にして武力抵抗できる魔法使いになったという感じでしょうか。
・美輪明宏がちょっと筋肉を見せてと触ろうとした時パッと払いのけた、というエピソードから受ける気難しさも、鍛えられた肉体が自身の内面を守る鎧であったと考えれば見え方が変わってきます。
・目の前のものに対してありのままではなく、意図を勘ぐったり、或いは巡り合わせに感動したりしている。そういう思考の癖を、主人公のほか筆者も持っていそうです。
・そこには私も多分に心当たりがあり、非常に親近感を覚えます。子孫や弟子はもちろん、直系の先輩と言ってもおこがましいですが、ひとまずそれくらいに感じていてもいいのではと思いました。(一応学習院の先輩なのか)
・幸か不幸か、今の私とほぼ同じ31歳での刊行のようです。いやはや、一体何食べて生きたらこれが書けるんだ。
② 不得手なはずの情景描写をどう乗り切っている?ぜひヒントにしたい!
・情景描写はある程度苦手なはず、という仮説を持って読み進めましたが、金閣寺とその周辺の舞台セットは、ちょっと一息では捕まえきれないほど詳細に描かれていますね。膨大な経験のバリエーションの為せる業でしょうか。
・これは文学的にはどう評価されているのでしょう?情景描写に限れば、なんとなく私の理想とは違いました。といつつ、今後何度も見返して助けにするつもりですが。
・個人的には、ユクスキュル『生物から見た世界』のほか、時には応急処置的にChatGPTの助けを借りてもいいから、またその反動でくどくならないようにもしながら、せめて取って付けた最低限の情景描写でも書いていけたらなというのが暫定的な結論です。
③ どの程度、読者を置いてけぼりにしてよいのか?
・読んでいて、自分の場合は、読者が付いてこられているか一文一文点呼を取るように書いていたことに気づきました。
・駅伝のことを知らない読者にも、わかりやすく、手とり足とり。
・彼の文章を見ると、その一文の手間で三文書いて周りを固めてしまうのも手かと思い立ちました。
(ただ結局私は大先生ではないので、ボリュームは極力抑え一刻も早く美味しい部分に至るべき、という書き急ぎ感はそのままです。葛藤すら起きるに至っていません)
④ 筆癖
・ところで、「何か~的なものを感じた」っていうのは彼の癖なのでしょうか?
・『仮面の告白』の解説でも思いましたが、これは油断すると私もしばらく口癖になってしまいそうです(笑)
・形容詞化することで、自在に、ラクに、名詞へ溶接できるわけですから、合理的でもあり、外国語に触れている人特有の、何か飛び道具的な日本語の使い方のように感じました。
(いけない、やっぱり口癖になっている笑)
長文失礼しましたm(_ _)m
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