1-6. 渾身の71分【箱根駅伝小説 B-Ambitious】

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下り坂の連続カーブで、物凄い重力に振り回される。

足を止めず、ただ前へ、前へ。


遠くに見えていた背中が、いつの間にか、すぐそこに迫っていた。

(もう少しだ)

相手も必死だ。天を仰いでよろけながらも、なんとか脚を回している。

下り坂の終着点。元箱根の交差点で、沼は並び、そして抜いた。

それを目撃した沿道の観戦客が沸いた。

「おおっ。抜いたぞ。どこだ、黄色いチーム」
「シチリンだ! どっちもがんばれ!」

これで12位。シードまであと二つだ。

だが、沼は喜びを表には出さなかった。

まだゴールは先だ。

再び、前方には抜ける相手がいなくなった。順位を上げられるのは、今度こそ、ここまでかもしれない。

こうなったら、明日のために、見えない差を1秒でも縮めておくしかない。

復路のみんな、あとは頼んだ。

颯、明日、お前が走るんだぞ。

復路のトップバッターとしてかましてやれ。

胸の奥で、何かがはじけた。

(よし)

坂を下り切った足に、もう一度、力を込めて。

沼は次の一歩を踏み出した。


*  *  *

入学してから三年間、沼には出番がありませんでした。それでも、黙々と力を蓄えてきたといいます。

ついに四年目にして、憧れ続けた5区の舞台に立っています!

七林大学、総合12位に浮上!

明日の復路、シード権獲得に向けて、希望を繋ぐ懸命な走りが続きます!



ラストスパートに入った沼信之介の脳裏に、なぜか、懐かしい光景がよみがえっていた。

1月2日。高校三年の正月だった。

すでにスポーツ推薦で、春から七林大学への進学が決まっていた。

(さーて、ウチの大学はどんなもんかね、っと)

家のテレビで、箱根駅伝をぼんやりと眺めていた。

そこに映っていたのは、当時一年生の柳原やなぎはらさんだった。

見たこともないような走り。

坂をものともせず、鬼の形相で、路面を踏み潰すように登っていく。

『山の神、ここに誕生!』

(……ふざけんなよ)

憧れていた場所に、とんでもない化け物が現れてしまった。

頭を抱えた。素直に喜べるわけがなかった。

案の定、入学してから三年間、自分に出番は回ってこなかった。「柳原がいれば5区は安泰」という声の傍で、ひっそりと、ただ一人の声援もない道の端を黙々と走り続けた。

あのときの自分に、教えてやりたい。

お前は諦めなかった。

四年かかったけど、ちゃんとここに来たぞ、って。

箱根恩賜公園前、残り1キロの看板を通過した。

「今、1時間8分12! ラスト2分45で行けば70分台! 大記録だ!」

おい、無茶言うなよ。

普通の選手ならそれで「よし、頑張ろう」となるのかもしれないが、コースを熟知し過ぎた沼は、そうもいかない。

(ラスト1キロ、地味に登るんだぞ?)

もちろん監督だって、それくらいわかって言っているのだろう。

沼は、笑った。

(人間って、本当に苦し過ぎると、笑うんだ)

笑いながら、歯を食いしばった。

今日イチ、箱根を味わっている瞬間かもしれない。

最後のスパート。

脚はもうすでに割り箸同然。身体の芯が震えている。口の端から、何か垂れている。

それでも、止まれない。

テレビでよく見る最後のロングストレートにやってきた。やけに眩しい。

(これ、太陽か?)

それとも、意識が飛びかけているのか。

わからない。

でも、太鼓の音は、ちゃんと聞こえる。

すごい音だ。

こんなに応援されたら、前にしか進めないだろ。

(もう終わっちゃうんだな。俺の箱根駅伝)

最後のカーブを右に曲がる。

ゴールテープが、小さく遠くに揺れている。

本当はここ、写真に使われるから、サングラスは最後に外す予定だったのに。

(まあ、いいや。どうにでもなれ)

そんなこと忘れて、無我夢中で飛び込んだ。

ドンッ、パンッ、バババンッ。

大判のタオルを広げて待ち構えていたチームメイトたちに、遠慮なく突進した。

すぐに全身をくるまれ、視界が真っ暗になる。

顔を覆うその柔らかな感触に、なんだかホッとしてしまって、その場で腰から一気に崩れ落ちた。

「んあああああっ。もう二度とこんなところ走らん!」

それを聞いて、みんな笑っていた。

(やっと、終わったんだ)

気づくと、沼はお姫様だっこをされていた。

誰が運んでいるんだ。視界が狭くなっていて、目の前しか見えない。

みっともないからやめろ、と言いたいところだが、そんな場合ではないほど、体はグッタリしていた。

「マジでおつかれさまです」

それは、3区を走った一年生の北條の声だった。

なんだ、こいつヒョロそうなのに意外に力あるな。

頼もしい後輩に抱えられて、手首の時計が顔の前で揺れている。

こんな状況でも、ちゃんとフィニッシュでスプリットを切ってあった。

ラスト1キロは、2分58秒。

(なあ、監督、来年のために覚えとけ。5区のラストって、3分で帰ってきたら、大激走なんだよ)

救護テントの中で、区間5位と知らされた。

1時間11分10秒。山の神には、かすりもしなかった。

けど、平地でなんの実績もない山専門の選手としては、出来過ぎなくらいのタイムだった。

もういい。何もいらない。全部出し切った。

ずっと忘れない。

ひっきりなしに耳に届いていた大声援。そして青空の中、大盤ぶるまいではじける、花火の祝福を。



▼ 続き
【B-Ambitious 第2章 箱根駅伝6区・山下りを攻略しろ!】
2025年5月2日現在 執筆中

【B-Ambitious 第1章 箱根駅伝5区・山登りを攻略しろ!】

◯ キャラクター辞典

① 山を目指して

② 箱根に通う日々

③ その日は突然やってきた

④ 生きた証

⑤ 激坂の終わり (ひとつ前のエピソード)

⑥ 渾身の71分

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