
最近、よく考えることがあります。
「他人に優しく、自分に厳しく」って、一瞬すごく理想的に聞こえるけれど、
——実は、限界があるんじゃないかなって。
自分に厳しい言葉ばかりかけ続けていると、
気づかないうちにその言葉遣いが癖になって、
他人に投げかける言葉も無意識にトゲトゲに😱
つまり、自分に向けているナイフは、いつかどこかで他人にも向いてしまう。
だから考えようによっては、他人にやけに厳しい人って、
たぶん普段から、自分にもすごくキツい言葉をかけてしまっている、
辛い人なのかもしれないなって。
私は、たとえば街を歩くときによく、心の中で他人に拍手を送るようにしています。
朝早くから働いている清掃の方に
「今日もありがとうございます👏」(言葉にできるに越したことはないですが)
何か憂鬱そうな表情の人にそっと、
「がんばってるよ👏」
道端に咲いている小さな花にも、
「誰も見てなくても咲いててえらいね👏」って。
……というのも、私自身、どうしても自分に厳しくなってしまうタイプで。
ほうっておくと、心の中で勝手に自傷ダメージを食らってしまうことが多いんです。
だからよく阪神の岡田監督の「ようやっとる」という言葉を、
自分にも他人にも心の中でかけるようにしています。
他人にも、自分にも、拍手を送る生活
今のところ、わりといい感じです。
中学時代テニス部で、
レギュラーの先輩がとにかくカッコよくて、
いざ自分の代になって、どうしてもレギュラーになりかったとき。
周りが敵に見えてしまって、
誰かが活躍するたびにヒヤヒヤしたり、
「負けろ負けろ」って思ったりしていました。
でも、そういう自分って、やっぱりどこか苦しかったし、命の使い方として凄くもったいない気がして。
だったら「ライバルも応援しよう」って、あるとき思ったんです。
相手の活躍に拍手を送りながら、自分も上手くなれるヒントを見つければいい。
そうやってチーム全体が強くなれば、それでいいんじゃないかって。
でもね、そうは言ってもね。
「自分に優しくする」って、ずっと抵抗がありました。
甘えじゃないか?
もっと追い込まないと成長できないんじゃないか?って。
でも、こう考えるようになりました。
他人にナイフが刺さらないために、まずは自分に優しくしてもいい。
そう考えてみることで、やっと私は、
自分を責めるナイフの手を、少しだけ踏みとどめられるようになりました。
資本主義社会では、お金や能力で奪い合わざるを得ない場面もたくさんあるけど。
拍手って、減るもんじゃない。
だったら、どんどんしようかなって思うんです。
世の中の「拍手の総量」が、増えますように。