感想「あ、共感とかじゃなくて。」展覧会 – at 東京都現代美術館
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/empathy/
【事前の印象と問題意識】
タイトルをパッと見る限りでは、おそらく世に溢れる陳腐な早合点——「わかるわかる~」への反論かなと思いました。最近では「同調圧力」というマイナスの価値観としての共感も広く知られるようになってきました。
ただ、私はこれが単に「共感とかウザくね?」という趣旨の展示だったら、そこまで関心持てなかったと思います。なぜなら、それもまた片方の側にしか立っていないからです。——というか、私がそもそも割と共感大切派なのです!
もしそうならば、反共感への共感を促す展示、という滑稽な構図にもなりかねない。
果たして中身は?→流石でした。
【4つの人格(=立場)で美術館を歩く】
私は自分の胸の内に、以下の4人の人格を登場させ、一緒に展覧会を回る試みをあらかじめ計画していました。(本当は8人いるのですが、便宜上簡略化して4人とします)
★共感が得意なAさん → 意識せずとも「共感」を使える。ハートウォーミング系。
★共感がそこそこ得意なBさん → 意識すれば「共感」を使える。私の等身大に近い。
★共感をあまり優先しないCさん → 「共感」を使えないことはないが優先度が低い。クール系。
★共感を全く優先しないDさん → 「共感」なにそれおいしいの? な自由人。
※A~Dに優劣はありません。共感という一つの分野について、どれだけ重きを置いて生きているかの違いだと思ってください。共感を優先しない人は、そのぶん空いたメモリ容量を使って論理性など逆のパラメーターを伸ばすことに長けている可能性が高い場合です。
※よければ皆さんも自分が誰のタイプに近いか考えてみてください。
【得意技である”共感”を封じられる体験】
詳しくは書きませんが、上映されていた映像は、背景説明・ストーリー性など、共感するために必要となるような材料があえて排除されていました。Bさん(私)は最後まで見てみましたが正直お手上げでした。だってこれじゃ共感のしようがない。
しかしこれはある意味、普段CさんDさんが、共感が苦手だと痛感している時、あるいは共感を強要されていると感じる時に、見ている景色なのかもしれません。(今日イチ大きな発見)
あるいは、駅伝に全く興味のない人が見ている駅伝とは、こうした映像なのかもしれません。(今日イチ大きな発見2)
駅伝を広めようという私からすれば、上手くいかない時は何が原因なのか、こうした人たちに本当はどう訴えかけるべきなのか、というヒントになりました。
例えば初めましての集まりで「駅伝が好き」と自己紹介して、相手が関心を持ってくれた時。どんな紹介の仕方をしたのか、どこに反応があったのか思い出してみよう。
【一人の人間の中にも幅】
世の中にざっくり上記A~Dのタイプがいるとして、同時に、一人の人間の中にも2~3つの人格があるとも考えました。
(TPOによって両隣のアルファベットを使い分けられる。ただし2つ以上離れているアルファベットは性格が遠すぎておそらくほぼ使えない。)
例えばBタイプの私でも、Cさんのスタンスを真似ることで、共感のスイッチを意識的にオフにすることがあります。
①詳しくない分野の話を聞く時
→ (なるべく)知ったかぶりをせず、教えてもらおうとする。
②同じ目線に立ってはいけない話題の時
→ 例えば、親族以外の自分が「大往生でしたね」と言うのは配慮に欠け失礼にあたる。何歳であろうと本人はもっと生きたかったかもしれない。
③相手が求めていないと感じた時
→ 戦争体験をあえて話さずに去っていく体験者もいる。語りも共感も必要としていない。
④(まれに)相手をどうしてもリスペクトできない時
→ 聖人ではないので。こうなってしまったら、もう拒絶モード。誰にでも共感すると思わないでよねッ!(誰)
逆に、例えば相手にとって自分が最後の砦であると察した場合に、必要に駆られてオンになる(Aさんが憑依する)時もあります。ただし審査は厳しいですが。
察しの良い方はお気づきかと思いますが、私は二つ以上アルファベットが離れた、つまりDさんのような生き方にはそもそも共感できません。しかし、理論上そういったタイプの人達も存在するということを心得ておくようには努めています。尊重はします。
たとえ似た共感タイプを持っている人ですら、やはり他人ですから、共感できないこともあるのです。そう、共感できなくてもいい。共感はできなくとも、理解できなくとも、尊重はする。共感できない=こいつは頭がおかしい、叩いていい、ではない。相手のカメラ映像を想像してみる。
【まとめ】
共通点を探して「わかる」と言うシンパシー。
自分と違う人の立場を「想像する」エンパシー。
共感がなければ結局自分一人の狭い物語でしか生きることができない、せっかくこの世に生まれたのにそれではもったいないしつまらない、お互いがこの世に生まれたからこそ起こった化学変化を大事にしたい、という信念に立つ私にも、新たな「体験」を与えてくれた「あ、共感とかではなくて。」展でした。気になった方は、ぜひ。
普段は、Twitter(X)で駅伝オタクしたり駅伝小説書いたりしてます
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「あ、共感とかじゃなくて。」 | 展覧会 | 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/empathy/
2023年7月15日(土)~11月5日(日) ※詳細はホームページでご確認を
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